何も望まないという考え方

収入が途絶えた私は、数日前に知り合いから文字打ちのバイトを頂きました。400字詰めの原稿用紙×60枚。前にもやったことがありましたが、その時は字が汚いのと漢字が難しい、というよりお年寄りだったので今では使われていない漢字が続出だった為に非常に苦戦を強いられました。今回は有り難いことに文字はわりと読みやすかったのですが、内容が・・・釈迦の教えを説いたものでして。仏教の心を延々と。そしてサンボマスターを聞きながら般若心経を打つ私。無宗教の私にはどうも理解しきれない世界。
先に言っておいた方がいいかと思いますが、私の宗教に対する考え方は、積極的に嫌うわけではないけれど基本「信じたい人が信じればいい」という姿勢です。(なので相容れないという方はここでご中断下さい。)ところが、やはり布教する側はそうではないようで。たまにびっくりするような事を書き綴っては私の手を止めさせます。その一つが「空-くう-」についての考え方で、これは仏教の人生観の基本コンセプトになっているらしく、「何も求めず、何も期待せず、何も願わず、執着の心を離れてただひたすらに生きればいい」らしいです。
う〜ん。・・・それは、何というか。そんな人生たいそうつまらないのでは?何も望まず期待もしないというのは、むしろダメ人間な気がするんですが、違うんですかね。その人達の生きる糧は、一体どこにあるのでしょうか。人類は常に求め、欲し、執着したからこそ現在があるのだと思っていましたよ。そして今でも思っていますよ。
そして最後のまとめ部分に衝撃の一文が。「宗教の必要を認めない人は、人間として生きる権利を拠棄した人です。」
ひ〜!そ、そうだったのか。私は知らず知らずのうちに生きる権利を抛棄していたのね。って、なるかーいっ!!