私が感じること

私は今まで原発に対して何も考えてこなかった。どんな利点とどんな欠点があるのかも詳しくは知らなかったし、それを自分で調べて知ろうともしなかった。
だから今回の地震福島原発は危険な物へと変わったけれど、それを受けてすぐに批判する事は私にはできない。


東電に嘘をつかれてた」という歌や「原発は即刻廃止にするべきだ」というデモを見ると、とても唐突に感じる。今まで自分たちが無関心に放置してきた事については、どう思っているのだろう。これまで何も感じず、当たり前のように受けてきた恩恵はすっかり無かったことにされているのかな。彼らは真夏でもクーラーを使わず、真冬でも暖房を入れなかったのだろうか。


さいとうさんは実家が被害に遭われたという話もあるので、あるいは建設時からずっと関心を持って、原発に対して危惧したり信用したりしていたのかもしれない。そういう人がメッセージを発するのはまっとうだと思う。
けれどこれまで関心を持たなかった私が「安全だと言ってたのに嘘だった!」とは思えない。違和感はこのあたりに原因があるのだと思う。


原発を擁護するつもりではない。これを機に電力供給の問題を再検討するべきだし、消費する側も意識を変える時だと思う。けれど今まで一人一人が存分に電気を使って、便利な生活をして、会社も工場もフル稼働して利益を上げて、急に批判に転じるのは違うと感じている。


それとツイッターで目にしたこの文で、うんうんと頷くところがあったのでリンク。
kikuchinaruyoshi.com - 
前記の内容とは少し焦点が違うけれど、

「普段通りの音楽を続けるのが一番のメッセージである」
「平時から、芸術というものは、有事の備えになっているべき」

というのは、ほんとにその通りだと。
これも個人的な意見なので人それぞれだけど、チャリティー音楽は聴く気にならないし、TシャツにはI LOVE JAPANなんてプリントしないで、もっと普通にかわいい物を作ればいいと思ってしまう。
義援金を集めるためでも、物を作る時は必ずデザインされるべきで、適当にプリントされて世に放たれたあげく使われないのでは、物たちがかわいそうだ。これは今回だけじゃなくいつも思っていて、食器もタオルも文房具も引き出しの奥にしまっておくものではなくて、使ってこその商品なんだと。
音楽だって「みんなで一緒に手を取り合ってがんばろう」なんて直接的に歌われたら鳥肌立っちゃう。ミュージシャンが思った事を歌にするのはとても自然で当たり前だけど、白々しいのは苦手。いつもの、時間を費やし心を込めて作った歌でいいのにね。