話し手としての素質

 面白くない人の話相手をするのって、非常にしんどいですよね。直球もいいとこですけど。今までこの事について書くと、放った言葉が全部自分に返ってきそうで止めていたんですけど、うーんまぁいっか。読んでる人もいなかろう。という事で書いちゃいました。所詮私も面白くない人の一員ですから。
 でも正しくはけしてその人“自身”が面白くないのではなくて、その人の“会話”が面白くないのだと。そう思うのです。おしゃべりのセンス、つまり内容の選び方や抑揚のつけ方、語感、そして自分の話を押しつけるのではなくちゃんと相手と会話が出来ているか、などなど。相手に「お前の事なんて知らねーよ。いーよ、どうでも!」と思わせてはいないか。そう思って私自身の会話の内容を振り返ってみても、さっぱり分からないんだけどね。いつも友達と何話してるか、全然思い出せないんだもん。でもそう考えると自分の話ばっかりしてそう、要注意だ。
 私がここ何年かで出会った友人達は同じ方向を向いているせいか、話の合う、本当に楽しい人ばっかりだった。けれど今の会社でしばらくぶりに話がつまらない人に出会って、そこで気付いた事は「自分の話ばかりをエンドレスで話される」というのは精神的にかなり痛手を負わされると言う事。そういう人に限っておしゃべり大好き!声もでかい!うーん、世の中上手くできている。
 けれど、たとえ話が下手であっても、その人に興味を持って掘り下げていけばすごい鉱山がある場合もあるのです。そこに辿り着くのが非常に難関で、挫折しそうになっても、そこでめげたらゴールドラッシュはありません。・・・と、この考えは理想ですが、つまり私が何を言いたいかというと「もっときょうめよ!興味を持てよ、自分!」
つまんないからって、「ふぅ〜ん・・・・あぁ、そ。」って言ってちゃダメだって。いい大人なんだからさ!