書こうとして忘れていた事

昨日付けのzuiunさんのエントリーを拝見して、書こうとしていたのにすっかり忘れていた事を思い出しました。また忘れないうちに文章にしておかなければ。
あ、死から葬式までの話なのでつまらないと思います。




・死と悲しさはイコールなのか
去年のクリスマスに母方の祖母が亡くなり、年末には葬儀に参加しました。
私の事をずっと可愛がってくれたとても好きなおばあちゃんでしたが、秋頃からずっと入院していて、母は毎日、私はたまにお見舞いに行っていました。私が行くと喜んで、弱々しいながらも話をしたり帰り際には手を振ってくれ、その姿は私が祖母の家に遊びに行くと帰りにいつも手を振ってくれた事を思い出させて泣きそうになりました。
しかしいざ亡くなった知らせを受けて病院へ行き、死者と対面した時は特に悲しいとは思いませんでした。毎日交代で看病していた親や親戚が解放されたと思い、また祖母自身もその状態で長く生きる事は望んでなかっただろうと思いました。
悲しみは「死」自体ではなく、その人との「繋がり」や「思い出」を振り返った時に生ずると感じました。



・葬式の意味
数日後の通夜・葬式に出席しましたが、一連の流れは形式化されていて、私にはその大半が意味のない行いのように思えました。現行を否定するわけではありませんが、何の信仰もしていない人はどんな葬儀をあげてもいいと思います。死者を悼む気持ちと儀式は何の関係もないからです。
私が自分の時に望むのは、色彩豊かで、みんな泣いたりせずに楽しく私の思い出を話していて、時間は短く、その後出される料理が美味しい。自宅へ戻してから供えるのは決してご飯とみそ汁ではなくパンとケーキにしてほしい。と言うより、死後の世界があったり魂だけが残るとは考えていないので適当に処分してくれていいです。
お坊さんの祈りの言葉は、死者に対してではなく残された者が納得する為のものなのだろうと思いました。感情があるのは生きている者だからです。