確認

フジは特に深入りしていたバンドではなくて、ライブもほんの数回しか見た事がなかったけれど、「桜の季節」が出た時は凄く印象的で好みだなと思った。
そのくらいの私でもざわざわして落ち着かないのは、死因がよくわからないからかもしれない。


自殺なら怒って憤慨できるし、事故ならショックで悲しめる、闘病の末なら心が痛いけれど覚悟はできる。でもよくわからないままぷつっと存在が消えてしまうと、こちらもどうしていいのかわからなくて、気持ちがふわふわ漂ってしまうよ。


人ってこんな風に急にいなくなるんだなって思うと恐い。自分が急に死ぬ可能性が恐いんじゃなくて、「次でいいや」と後回しにしたせいで伝えられなかった言葉や会えずに終わってしまう事で、後悔するのが恐い。


「次は無いかもしれないから、好きな人のライブや舞台はできる限り行こう」とは、今年何度も思った。でも実際私の限られたお金と時間では、当たり前だけれど行きたいもののごく一部しか行けない事も身に染みて実感した。だからいっぱい行くのは無理でも、行けたものは大事に観ようと思ったよ。ずっと記憶に留めておけるくらい、毎回をしっかり見てこよう。


村上春樹の本の中で(たしか羊をめぐる冒険か、ダンダンダンスだったと思うけれど。もしかしたらねじまき鳥かもしれない。)ある人が死んでしまって後悔している人に向かって「後悔するくらいなら、始めからきちんと公平に彼に接しておくべきだったんだ。少なくとも公平になろうという努力くらいはするべきだったんだ。」と言う台詞があって、高校生だった私はとてもはっとした。その頃は、今日居た人が明日いない可能性なんて深く考えたことがなくて、生活の中で意識的に他人を攻撃はしてなかったかもしれないけれど、特別気持ちを伝える努力もしていなかったから。
だからそれ以降は、私が感じた事でそれが相手にとってプラスの感情ならその場で口に出して伝えるように心がけていたのだけれど、最近を思い返すとまだまだ出来てなかったような気がする。私から何かを言われたところで、相手は特に何も思わないかもしれない。でも少しは何かの足しになるかもしれない。だったら伝えた方がいい。嬉しいとか、ありがとうとか、それ可愛いねとか、口に出す10倍くらい多く思ってるんだもの。